ヨナの手のひら(2) "惜別" 2023年5月1日。 雲ひとつない青空。 初夏の風の匂い。 色とりどりの服や風船、プラカード。 楽器を弾き鳴らし、歌を歌う者。 この日が6歳の誕生日のヨナは、節くれだった父の手に引かれて、メーデーの行進の列の中にいた。 「反政府」的だとされれば即刻逮捕されるから、どのグループも、監視の目に気を配り、和気藹々(あいあい)のお祭りムードを演出していた。 子供の目には、デモもテーマパークのパレードも同じく楽しかった。 後から聞いた事だが、父は2011年の憲法改変を問う国民投票の際に、憲法9条改変に反対する運動に関っていたそうだ。 公立中学の数学教師でありながら、禁止ワードである「人権」「反戦」を生徒の前で堂々と口にし、休日は街頭で政治ビラを配る公務員は、同じく教師の母共々、解雇の対象になった。 表面上は、その年の国家財政破綻にかこつけたものだ。 しかしその実は、前年の2010年に、父が護憲政党の上院選ポスターを貼っているところを同僚から密告され、当局にマークさていたのだ。 憲法改正国民投票法で公務員の政治的活動は公私に渡り禁じられていた上、2007年の教育三法改変で導入された教員免許更新制度(教育職員免許法11条)により、監視役職員の実施する試験で「愛国的ではない」として、故意に落とされたのだ。 政治に過度に関与するのを嫌った母だったが、まだ結婚して3年。子供もいない。 職を失ってからも夫を理解しようと努め、複数のパートタイムに奮闘していた。 夫は工事現場巡りの派遣労働にも良く耐え、2017年にヨナが生まれた。 貧しいながらも小さな幸せが、一度はそこにはあったのだと、ヨナは思う。 この国のネジがいよいよ狂い始めたのは、2013年の上院選での電子投票制度導入と、共謀罪の創設だった。 投票所でのネット端末からの押しボタンによる投票では、紙媒体の証拠が残らない。 政権与党が企業への利益供用を見返りとして、端末のアプリケーションやネット上のグループウェアに細工を強要すれば、得票数は如何ようにでも操作できる。 また、個人に郵送される整理表のバーコードを監視員がスキャンした上で、特定の投票機に誘導すれば、誰が誰に・どの政党に投票したか、つまり与党に組しない国民のブラックリストを自動作成し、データベースをアメリカCIAのサーバと共有できる。 結果は、政権与党の、それも旧臣民党・法輪党系の「歴史的圧勝」に終わった。 これで政権交代を半永久的に防ぐシステムが完成した。 警察・検察の意向一つで逮捕可能な共謀罪が、この状況下で無審議で国会を通過した。 2009年の下院総選挙での政権交代失敗によって、正面切ってこれに反対する国会議員の数が圧倒的に足りなかった為だ。 まさにそこには、戦前の地獄絵〜特高によるアカ狩り〜が復活していた。 ネットへの書き込み監視はもちろん、職場や飲食店での何気ない会話も、密告により「反社会性あり」と報告されれば、処罰・逮捕の対象になる。 ヨナが5歳の2022年暮れ、父は捕縛された。 自分もギリギリの生活をしながら、貧困層の救援のためのNPOの影のメンバーとして、仕事の合間を縫って既に10年間の活動をしていた。 「この国には存在しない」はずのホームレスの実態を、根気強く各国の人権団体に伝え続けた成果が現れ、海外のメディアの反響が出始めた為、年明けのヨーロッパでの人権に関するシンポジウムに招聘された矢先だった。 3人は小さなクリスマスケーキを囲んでいた。 教え子の実家の洋菓子屋がヨナの為にと、小さいながらもホールサイズを好意でプレゼントしてくれたものだった。 玄関をけたたましく叩く音と大声。 何事かと玄関に立って、ドアハンドルに手をかけた母を蹴倒して、5人の官憲が土足で押し入って来た。 逮捕状を手にした若いダークスーツの男が何かわめきながら、中年の部下三人に父を後ろ手に締め上げさせ、手錠を掛けた。 男たちと父が揉み合う勢いでテーブルのケーキが、火の点いたロウソクを立てたまま床に落ち、崩れた。 父が連れ去られ母が泣き叫んでいる事よりも、靴で踏み散らされ、ピンクの塊になったクリスマスケーキの光景が悲しくて、恐ろしくて、ヨナはただただ泣いた。 その間中、残りの一人の初老の男は、手馴れた身のこなしで家中の収納という収納を片っ端から空け、物を引き摺り出し、床に積み上げていた。 結局、父は年末ギリギリの12/26・27の連日、わずか2回の法廷で、テロリスト予備軍の活動に共謀したとして執行猶予なしの懲役三ヶ月を言い渡され、民間刑務所で新年を迎えた。 国民的論議がないままに2009年5月に始まった裁判員制度は、始めは殺人などの重大事件が対象だったが、後出しの施行令や運用基準で、窃盗などに次々拡大され、ついに思想犯もその対象とされた。 無罪判決が簡単に出ないように、裁判員の選考過程で、人権に関心の高い候補者が徹底的に排除されるシステムが完成されて行った。 一般の裁判員が「アカ(反政府分子)」の有罪性に疑義を差し挟む事など自殺行為であり、むしろ誰もが、容疑者を重罪に処すべきだと主張する事で、身を守るのに必死だった。裁判員制度の本当の狙いはここにあった。 そしてもう一つ、PFI方式の民営刑務所ビジネスによる利権拡大と、天下り先確保の観点からも、囚人を大量生産する必要があった。 服役中に母は、幼いヨナを父方の祖母の家に預けて買物に出た切り、姿を消した。 父が出所して間もなく祖母が死んだ。息子の帰還を待っていたように。 添い寝のまま、ヨナが目覚めると祖母は冷たくなっていた。 父は両家の親類の身を案じ、目立つのを避ける為、通夜は行わず、即日に火葬場での簡易葬を選んだ。 斎場から祖母のアパートへと帰るタクシーの窓一面に、降り注ぐ桜吹雪が夕陽に輝いて、この世のものとは思えなかった。 父の膝に乗せた箱に触ると、朝には冷たかった祖母の身体を焼き尽くした、劫火の名残が熱かった。 「元犯罪者」である父は、当然入居を断られた。 間もなく、主を失ったアパートの契約は切られ、二人は路上へ投げ出された。 それから1ヵ月後の晴れた日の昼前。 ヨナの目には祭りのパレードと映った列が、警備の迷彩色の車列に差し掛かったとき、若者の1人が「徴兵ハンターイ!」と叫んだ。 声は列全体に広がり、みんな口々に「戦争反対」「徴兵反対」「日雇い兵士を殺すな」とシュプレヒコールを上げて軍服の男たちの前でおどけて見せ、笑い声を上げた。 最初は兵士たちもチラチラと視線は向けるものの、無視をしていた。 遠巻きに指示を待つ警察の機動隊員たち。 父と先導メンバーは、「悪ふざけしないで整然と行こう」と注意したが、遅かった。 デモ参加者の学生の背負った黄色い紙製ミサイルのハリボテが、こちらも同じく若い兵士の、頬に触ってしまった。 色めきたった軍服の列が怒号と共に急に生き物のように扇形に陣形を変え、一斉に装甲車が寄って来た。 父たちは若者たちを押し留めて守ろうと、車列に背を向けて両腕を広げ、渾身の力を込めて足を踏ん張った。 父ともう1人のメンバーが車両に接触して倒れた。 もう1人は這って逃げたが、父は運悪くタイヤに足を踏まれてそのまま上に乗り上げられた。 悲鳴を上げる間もなく、5トンはある輪重が父の足先から腰、背中、頭へと、骨を踏み砕く鈍い音と共に移動して行った。 スニーカーを履いたままのつま先が、踵を中心に円を描いてぐるりと一回りするのが見えた。 続いて、ポンと風船が弾けるように、ロープ状の艶やかな腸が5〜6m先まで跳び出した。 一瞬、うがいをする時に似た声が漏れ、父はすぐ静かになった。 最後に頭蓋骨が生卵の殻のように破裂し、ピンクの柔らかい塊が放射状に拡がった。 飛沫の赤い霧が、明るい日射しの逆光の中、スローモーションを見るようにキラキラと光っていた。 わずか4ヶ月前に見たクリスマスケーキの映像が、ヨナの脳裏にダブった。 時間が止まり、不思議に悲しみも恐怖もなかった。 静寂を破ったのはけたたましい女性の叫び声と、群集のどよめきだった。 あとはよく覚えていない。 しかし、この出来事がニュースに出なかった事だけは確かだ。 (第1話へ戻る) (第3話へ進む) *文中の日本語の団体名・人名は全て架空のものであり、実在の名称・個人名とは一切関係ありません。 "Saudadeな日々" Top Page に戻る |