ヨナの手のひら(3) "白蟻" 月に2回も声が掛かれば飢えをしのげるこの仕事は、率がいい。 しかし半年前、初めて足を踏み入れた核施設の再建現場は、ヨナの想像を遥かに超えていた。 人生の経験不足はあったが、それ以前に、人としての想像を。 攻撃された施設の建屋は大方修復されていたものの、原子炉周辺はまだ強烈な放射線を発しており、どんな作業をするにも使い捨ての中着を何重にも付けてから、窒息しそうに空気の通らないマスクを組み込んだ、宇宙服のような白い防護服で全身を覆う必要がある。 暑さと息苦しさの中での、鉄筋運びなどの重労働。真冬なのに、18歳の肉体でも1時間と持たなかった。 夏場の今は、30分作業したら、しばらくは動けない。 一刻も早く高圧水のシャワーゾーンを通り、防護服を捨てて現場の外へ戻りたい。 それでもヨナのセクションは、まだ作業環境に恵まれている方だ。 厚さ3mの鉄筋コンクリートの「石棺」の中にある、プルトニウムまみれの「汚い」ゾーンはさらに過酷だ。 一つの現場で同じメンバーを二日続けて目にする事は少ない。 モタモタしていれば、あっという間に致死線量を浴びてしまう為、何十人も並んで、ストップウォッチを手にした監督員の合図で一人ずつシェルターの中に走り、規定の秒数だけ仕事をして駆け戻り、リレー方式に次の走者にバトンタッチするのだ。 これは20世紀から続く、日雇いの作業員による伝統的な原発メンテ・修理の手法だ。 作業時間に比例して、口入れの胴元からの給金が決まるから、一日に二回三回とアタックする、「勇気ある」作業員もいる。 暑くて作業にならないので、普通の雨ガッパの中にジャージを重ね着して、スニーカーとフルフェイスのヘルメットだけで飛び込む者も多い。 現場の多くは孫請けや、ひ孫請けで、元請会社からのノルマは絶対の為、これが黙認される。 ある雨の夕方、着替えが済んで帰り支度のヨナに、ちょくちょく顔を合せる初老の男が言った。 「辛いか? へっへ・・・そりゃキツいよな。だけどよ、戦争でやられる前から、原子炉のメンテなんて世界中、ずっとこんなもんさ。 都会で誰かがスイッチ入れるたんびに、誰かが倒れてんのよ。ひでえもんだ。 知り合いの稼ぎ頭なんか、全身の皮膚がドロドロ溶けて肉の塊になっても生きてて、『殺してくれえ』ってな。 最期は、口から胃だの肝臓だの、内蔵吐きながらくたばってさ。可哀相だったよ。」 短く刈り上げた胡麻塩のこめかみをポリポリ掻いた後、斜め上の虚空に煙草の煙をひと吹きし、 「次はオレか?ってな感じよ。」と、上の前歯がない口で薄笑いを浮かべた。 次いで、急に真顔になると、ヨナの目を真っ直ぐに見つめ、噛んで含めるように言った。 「あんたは若いんだ。どっかで足を洗いなさい。」 放射線障害の恐ろしさを教えられていないアタック作業員の多くは、やがて約束されたように死の病に冒されて行くという。 ヨナも何度となく現場で、実入りのいい炉心周りの作業を勧められたが、反核運動に関った父から障害の実態について、幼い頃に聞いていたので、最後の敷居は越えずに踏み止まっている。 まさか自分が核施設の日雇い派遣作業員として働くとは思っても見なかった。 命綱である、高価なヤミ携帯端末を持ち続ける為に。 憲法改変を受けて2014年に立法・即時施行された、世界に類を見ない冷酷な「国民情報保護法」により、新生児の戸籍の取得の条件として、ICタグの皮下への埋込みが義務化された。 これは2005年、当時のオオイズミ政権下で施行された「個人情報保護法」を、さらに巧妙に発展させたものだ。 病院で生まれた子供は、親権者の意思とは関係なく、分娩室で半ば強制的に左手のひらに「ふれんどチップ」と称するGPS機能内蔵の小型ICタグを埋め込まれ(手のひらはタトゥーやピアス、インプラント等をされる事が比較的少ない為)、同時に両手の掌紋と、10指の指紋が登録される。後日、両手の静脈パターンと、両目の虹彩パターンも採取・登録される。 都市部の医療施設なら、親がチップ埋込み前に分娩室から子供を連れて逃げようとしても、セキュリティ・ゲートでアラームが鳴る。 2014年以降に生まれた国民は、次のような管理を受ける。 1.居場所と足取りを24時間捕捉され、いつ誰と会ったかが記録される。 2.買物や金融機関での入出金履歴が記録され、1ヶ月に一定限度以上の入出金をさせない。 3.選挙での投票行動の詳細などがブラックリストに記録される。 4.実質上の兵役を課せられる(後述)。 もちろん、表向きは利便性とテロ対策ばかりが喧伝され、一切の真相は伏せられている。 チップを持っていない者は公共交通機関を利用できず、官公庁へ入館したり、自販機で商品を買ったりもできない。 もっとも、1・2はすでに2007年に携帯キャリア各社と公安警察のシステムが統合された事と、ゲートキーパー法の施行でスタートしていたし、3も2013年の電子投票制度の国政選挙への導入で、システムとしては完成していた。 また、2009年にはTASPOと呼ばれるタバコ自販機用の「成人識別カード」が導入され、これを皮切りに、各種の自販機を観測ポイントにした個人追尾システムが完成されて行った。 この皮下埋め込みシステムの「優れている点」は、モバイル機器やカードと違い、決して置き去りにしたりスイッチを切ったりできない、という事だ。 当然、タグ埋込みを忌避する親は多く、地方の個人病院による高額な「ヤミ出産」や、志を同じくする助産士グループによる自宅分娩を選ぶようになり、結果として大量の「無戸籍児」が発生した。 2035年現在で、その数は300万人を超えている。 親権者が子供へのタグ埋込みをさせなかった事が発覚した場合は、懲役1年以下、もしくは罰金20万アメロ(2009年の日本円の価値に換算すると約1000万円)以下の懲罰が科せられる。 11歳未満の子供は大方の場合、公共の施設(再教育センター)へ収容され、タグ埋込み手術と生体情報採取をされ、仮の戸籍が与えられる。 親類が引き取ろうとしても、「共謀罪」による国家反逆容疑で連座式に逮捕される可能性が高く、結局諦めるケースが多い。 再教育センターへ収容された子供は、基本的に全額国の負担で養育が行われるが、16歳になると、健康上の問題がない限り国防軍へ訓練生として編入される。 陸・海・空いずれに入隊するかは、「再教育」の過程で適正試験を何回か行い、振り分けられる。 18歳に達すると成績に応じ、一握りの大学進学組と、戦闘地域で2年を過ごす(大多数の)派兵組に分けられる。 派兵組で生還できた者には、高校を出ていなくとも無条件で大学受験資格が与えられる。 2013年以前に生まれた国民と、外国人にはICタグの携行が義務付けられた。 これはチップ埋込みと、カードのどちらかを選択できる。 チップの不携帯が発覚した場合、3ヶ月以下懲役の後、外国籍である事が証明できれば強制送還、証明できなければ国防軍への1年以下の兵役が科せられる。 GPS機能をONにし続ける為には、2週間に一度「フレンドスポット*」でチップのバッテリーをチャージする必要がある。 これを忘れて各種施設のセキュリティゲートで引っ掛かると、チップの不携帯とみなされる。 (*非接触式。カフェ・コンビニなどに端末が設置され、1回15分程度でチャージできるが、バッテリーが約3年で劣化するので、皮下埋込みを選んだ人は、そのたびに再手術(自治体が負担)を受けなければならない。) 実際は充電よりも、対象者がチップ内のROMデータを改ざんして書き換えていないかスキャンするのが主目的だ。 バッテリーなど使わずとも、ICタグリーダーの発信器から強目の電波を出せば、電磁誘導の原理で移動体のICチップ内に電流が発生するので、チップを携帯しているかどうか自体は判別できるからだ。 忘れた場合、罰を受けない為には、故意ではなかった事を「信頼に足る第三者」に証明申請してもらわなければならない。 しかし2013年創設の「共謀罪」の制度により、「知り合いの知り合い」に一人でも野党の支持者や、反戦思想で処分を受けた者がいると、その人は「信頼に足る第三者」ではなくなるので、審査ではまず通らない。 そればかりか、「共謀罪」により、「テロ予備軍」として、何人もが連座的に検挙される可能性の方が高い。 2014年以降に生まれた子供本人も、11歳以上18最未満の場合、親の意思とは無関係にチップ埋込みを受ける義務があり、埋込んでいない事が発覚した場合、強制家宅捜索等により「やむを得ぬ情状」の証拠が出ない限り、家庭裁判所から少年院に送致の上、強制的に手術を受ける事になる。 これは2007年の臣民党・法輪党政権による少年法改正(11歳から少年院送致)を受けての法制化だ。 刑務所に続き、少年院でもPFI方式による民営化が進んだので、ビジネスの収益を上げるのに、国は収容者を増やすことを推進している。 そしてついに今年2035年、世界の流れに逆行して国民の「ゲノム情報(DNA全体のパターン)」の登録を義務付ける法案が国会に上程され、反発する国際社会との間で駆け引きが続いている。 しかし、実は2017年の下院選で野党勢力が一掃されたあたりから、秘密裏に多くの医療機関で個人のゲノム情報が採取され、大手情報管理会社を通じ、遺伝子新薬の開発企業や欧米の情報当局にデータが流出している事が「噂されて」いる。 団体・個人を問わず、その疑惑を洗おうと試みた者は、ことごとく投獄、あるいはナゾの死を遂げている為、真偽が表に出て来ない。 国連加盟国の多くは、この「国民奴隷化」制度に大いに懸念を表明しているが、2012年のアメリカ国家財政破綻後に経済の覇権を握った、人権擁護に消極的なBRICs諸国への配慮から、国際会議等で人権を正面切って論じる事が困難になった。 いくつかの人権擁護団体が国際司法裁判所(ICJ)への訴えを起こしているものの、多勢に無勢で苦戦している。 外した作業グラブの中は血まみれだった。手のマメは一層痛む。 「あんたは若いったって、じゃあ、おめーがカネくれんのかよっつーの。」 雨の中、ねぐらの廃墟にバイクを走らせながら、独り言を漏らすヨナの表情は久しぶりに少し柔らかだった。 ふと、父が生きていたら、あの位の年恰好だろうかという想いが頭をよぎった。 (第1話へ戻る) (第2話へ戻る) (第4話へ進む) *文中の日本語の団体名・人名は全て架空のものであり、実在の名称・個人名とは一切関係ありません。 "Saudadeな日々" Top Page に戻る |